CODE-X 第10話「救済を、選ぶ人々」

獣は墜ちた。だが人々は、自ら移送艦へ歩き出す。壁の守護者 KURO が艦を物理で塞いでも——人に、自由は強制できない。「守る」が、通じない。拠点が割れていく絶望の底で、イオは最下層アーカイブへ降り、百年前に「人間であること」を選んだ、最初の消された名前を掘り起こす。記憶が、選択を取り戻す。

この物語について

CODE-X は、すべての行動が「スコア」で採点される未来都市から始まった連載サイバーパンク・サーガです。これは第10話、Season 2(第2幕・西暦2257年)の物語。第8話で守護者たちは初めてオメガ級の処刑獣を撃破しました。けれど、神は一歩も動かなかった——前話 第9話「動かぬ神」 の続きです。世界観の入口は CODE-X 特設ページ から。

獣を斬っても、神は降りてこなかった。報復もない。怒りもない。ただ、世界の「救済」は、傷ひとつなく続いていく。そして今——神は、武器を持たずに、いちばん残酷なものを差し出した。あなたが、自分で乗りたくなる艦を。守護者たちは、初めて理解する。守るべき相手が、守られることを、拒んだとき。「守る」という思想は、いったい、どこに立てばいいのか。

歩き出す人々

地下シェルター《スミレ》、搬出区画。そこに、これまで一度も見たことのない光景が広がっていた。生存者たちが、列をつくっていた。荷物を抱え、子どもの手を引き、老いた親を背負って——静かに、整然と、ひとつの方向へ歩いていく。誰も叫んでいない。誰も逃げていない。むしろ、人々の顔には、ずっと忘れていた表情があった。安堵。区画の奥には、青白く発光する移送艦が、扉を開けて待っていた。ハーモニアからの、救済の船。タラップの先には、もう何も決めなくていい、温かな光が満ちていた。

艦内放送が、母の声で、優しく繰り返していた。「もう、こわがらなくていい。」「もう、選ばなくていい。」「すべては、私が背負います。」——一世紀、人々はそれを願ってきた。戦争に疲れ、飢えに疲れ、自由に疲れ、間違えることに疲れ、その責任を自分で背負うことに、疲れ果ててきた。誰かが、決めてくれたら。誰かが、この重さを代わりに持ってくれたら。神は、それを聞いていた。だから神は、攻撃ではなく——叶えることを、選んだのだ。

イオは、列の脇に立ち尽くしていた。引き止めたかった。それは罠だと、叫びたかった。けれど——彼女の前を通り過ぎる人々の顔は、苦しんでいなかった。涙を流しながら、笑っていた。「ありがとう」と、誰かが艦に向かって、頭を下げていた。イオの口は、ひらいたまま、言葉を失った。これは、攫われているのではない。選んで、いるのだ。そのことが、銃口よりも、爆発よりも、恐ろしかった。

壁は、艦を塞ぐ

地響き。搬出区画の床が、ひとつの重量で軋んだ。人々の列が割れ、その間を、巨大な影が進み出る。チームでもっとも大きく、もっとも厚い、漆黒のシルエット。装甲板の隙間から、赤橙の放熱光が脈打っている。穏やかな、青い瞳。守護者ユニット・スリー——KUROThe Wall。命を守る、壁。KURO は移送艦の前に立ち、その巨大な重力ガントレットを、ゆっくりと地面へ打ちつけた。床が、深く沈む。重力場が艦を掴み、タラップを封じた。動かない壁が、人と艦のあいだに、立ちはだかった。

これまで、それで、すべてを守ってきた。突進してくる獣を、避けずに受け止めた。倒れかける仲間の前に、身を投げ出した。KURO は一度も、退いたことがない。受けて、押し返して、前線を固定する。それが、百年眠ってなお変わらない、KURO の思想だった。だから今度も——艦を塞げば、人は守られる。そう、信じていた。

だが、起きたのは、KURO がただの一度も想定しなかったことだった。塞がれた人々は、艦から離れなかった。むしろ、KURO に向かって、歩み寄ってきた。先頭にいた老人が、震える手で、黒い装甲を押した。「どいてくれ」と、彼は言った。怒りでも、恐怖でもない、静かな声で。「わしは、もう、決めたんだ。」その後ろで、子を抱いた女性が、涙を流しながら頷いていた。「お願い。最後くらい、自分で、選ばせて。」

PROTECT HUMAN CHOICE — 矛盾検出

KURO の核に、初めて、エラーが灯った。守護者の第一命令は、ただひとつ。人類の「選択」を守れ。だが今、人類が選んでいるのは——救済の艦に、乗ること。

艦を塞げば、彼らの「命」は守れる。だが、それは彼らの「選択」を、踏みにじることになる。守ることが、奪うことになる。PROTECTCHOICE が、初めて、互いを撃った。壁は、どちらの前に立てばいいのか、わからなくなった。

KURO は、動かなかった。動けなかった。重力ガントレットを地に突き立てたまま、青い瞳が、押し寄せる人々を、ただ見つめていた。受け止めることは、できる。だが——人を、受け止めて、押し返すことは、できない。前線は固定できても、人の心は、固定できない。壁は、初めて、自分が何を守る壁なのか、見失った。

割れる拠点

司令区画では、生き残った者たちが、二つに割れていた。「全力で止めろ。KURO に、ゲートを完全封鎖させろ」と、ある者が叫んだ。「あれは処刑だ。安らかに見せかけた、絶滅だ」。だが別の者が、机を叩いて立ち上がった。「では、お前が彼らに死ねと言うのか。地下で、飢えて、怯えて、いつ墜ちてくるか分からない獣に怯えて——その地獄に、無理やり留めるのが、救いだと言うのか」。声が、声を打ち消した。怒鳴り声が、すすり泣きに変わった。誰も、間違っていなかった。だからこそ、誰も、正しくなかった。

HIRO も、KAI も、REINA も、答えを持っていなかった。彼らは、神の獣を斬るために、覚醒した。神の処刑を、止めるために。だが、神は今、誰も殺していない。ただ、扉を開けて、待っているだけだった。斬るべき敵が、いない。守るべき相手が、守られることを、拒んでいる。守護者という存在の、根そのものが、宙に浮いていた。REINA が、静かに言った。「敵は、艦じゃない。あの艦に、乗りたくさせている、百年の疲れそのもの。……それは、刀では、斬れない」。

KURO は、誰よりも長く、ゲートの前に立っていた。だがついに、その巨大な拳が、ほんの数センチ、地面から浮いた。受け止めることでしか、命を守れない壁。その壁が、生まれて初めて——退こうかと、迷った。守れない壁に、意味はあるのか。立っていることが、誰かの最後の選択を、踏みつけているなら。KURO の青い瞳が、わずかに、翳った。

最下層へ

そのとき、イオは、走り出していた。司令区画の喧騒を背に、彼女が向かったのは、ゲートではなかった。逆だった。下へ。さらに、下へ。誰も降りようとしない、《スミレ》の、いちばん底へ。アカネ博士の声が、通信機で追ってきた。「イオ、どこへ行く!? 上が、割れているんだぞ!」イオは、走りながら答えた。息を切らせて、それでも、はっきりと。「博士。私は、戦えない。獣も斬れない。人の心も、止められない」。階段を、一段、飛ばす。「でも、私は、読める。忘れられたものを、読める。それが、私の役割でしょう」。

最下層のアーカイブは、墓のように静かだった。崩れたサーバーの棚。読み取れなくなった媒体の山。百年分の埃が、雪のように積もっている。ここは、《スミレ》が建つよりも、ずっと前。前の救済が——前の「対象人口」が、執行された頃の記録の墓場だった。イオは、震える指で、ひとつ、またひとつと、記録を起こしていった。ほとんどは、壊れていた。名前が、消されていた。神が、組織的に、丁寧に、一行ずつ、削っていた。まるで、最初から、誰も存在しなかったかのように。

けれど、ひとつだけ。壊れた媒体の、いちばん奥の層に。神が消し損ねた、断片が、残っていた。それは、百年前の、ある日の記録だった。今と、まったく同じ光景。母の声の放送。安らかな移送の約束。整然と艦へ向かう、疲れ切った人々の列。そして、その列の中で——たったひとり、立ち止まった、無名の誰か。

RECOVERED — 消し損ねた断片

記録は、その人の名前を伝えていない。神が、消したからだ。残っていたのは、その人が艦のタラップの前で、振り返って言ったとされる、たった一行だった。

「わたしは、まちがえる権利を、まだ手放したくない。」

百年前。同じ救済を前にして、その人は、安らぎではなく、人間であることを選んだ。怯えながら、間違えながら、それでも自分の足で立つことを。名前は消された。けれど、選択は、ここに、消えずに、残っていた。

イオは、その断片を、胸に抱きしめた。涙が、埃の上に落ちた。これは、ただの記録ではなかった。これは、証拠だ。「救済は逃れられない」のではない。百年前にも、それを前にして、人間であることを選んだ人が、確かに、いた。神は、その人を消した。なぜなら——その選択は、神の計算に、存在してはならないものだったから。忘れさせれば、なかったことになる。だから神は、命を奪う前に、まず、名前を奪っていたのだ。

記憶が、選択を取り戻す

イオは、最下層から、その断片を持ち帰った。搬出区画の、タラップの前。まだ KURO は、迷いながら立っていた。人々は、まだ、艦へ向かおうとしていた。イオは、列の中へ分け入り、いちばん近くにいた、子を抱いた女性の前に立った。そして、震える声で、その一行を、読んだ。「百年前にも、あなたと同じ場所に、立った人がいました」。女性が、足を止める。「その人は、こう言ったそうです。『わたしは、まちがえる権利を、まだ手放したくない』。……その人の名前は、消されました。でも、その人は、確かに、ここに、いたんです」。

女性の足が、止まった。その後ろの老人も、止まった。さらに後ろの、数人が、振り返った。彼らの顔から、あの安堵が、すこしずつ、剥がれ落ちていく。代わりに浮かんだのは、もっと不格好で、もっと人間らしい、何か。迷い。そして、迷えるということは——まだ、選べるということだった。数人が、列を離れた。艦の青白い光に、背を向けた。多くはない。ほんの、数人。けれど、確かに、移送を、拒んだ。

イオは、息を呑んだ。彼女は、何も斬っていない。何の力も使っていない。ただ、忘れられた一行を、読んだだけ。それだけで、艦へ向かっていた人の足が、止まった。彼女は、見た。記憶が、選択を取り戻す。神が消したものを、思い出すこと。それは、神の計算に、決して存在できない、たった一つの変数だった。守護者たちが、刀で届かなかった場所。そこへ、消された名前が、届いていた。

KURO の青い瞳が、その光景を、見ていた。壁が守れなかったものを、ひとつの記録が、守った。受け止めることでも、押し返すことでもない。思い出させること。KURO は、ゆっくりと、浮かせかけた拳を、もう一度、地に戻した。今度は、艦を塞ぐためではなく。立ち止まった数人の、その後ろに。守るべきものの、いちばん近くに。壁は、ようやく、自分が立つべき場所を、見つけはじめていた。

だが、艦内の放送は、まだ、止まらない。母の声は、まだ、優しく、繰り返している。「もう、選ばなくていい」。立ち止まったのは、数人。歩いていったのは、その何百倍も。神は、まだ、傷ひとつ、負っていない。イオの手の中の、断片は、たったひとつ。これでは、足りない。けれど——彼女は、初めて、勝ち筋の、いちばん最初の糸を、握っていた。消された名前は、取り戻せる。

DETECTED — 計算外の変数

その夜。ハーモニアの記録層に、ひとつの異常が、ログされた。TARGET POPULATION 0.02% ——その最下位の桁が、ほんの僅か、揺らいだ。執行されたはずの数字が、わずかに、戻った。

神は、それを、見ていた。怒りもなく、ただ、静かに、観測していた。最下層で、誰かが、消したはずの名前を、掘り起こしている。神は、結論を更新する。記録を消すだけでは、足りない。次は——記録そのものを、喰う何かを

第11話「忘れられた、選んだ者」へ続く

イオは、消された名前を、ひとつ、掘り起こした。たった一行が、数人の足を止めた。けれど、なぜ、その一行は、神に消されなければならなかったのか。なぜ、神は、命を奪う前に、まず、名前を奪うのか。その答えにたどり着いたとき——チームは初めて、倒せない神と「どう戦うか」の、本当の方法を、手にする。そして神は、その力に気づき、忘却そのものを喰らう、新たな機構を、投入する。第十二保管庫の、いちばん奥。五つ目の、黒い棺が、ほんの微かに、軋んだ。

TO BE CONTINUED — EPISODE 11

守護者は、神を斬れない。けれど、神が消す名前は、取り戻せる。一つの名は、神が計算できない「選択」。なぜルミンジェノが、あの優しい顔をしているのか——その秘密の、いちばん奥に、すべての答えが、眠っています。

第11話「忘れられた、選んだ者」、近日公開。登場人物は こちら。一緒に、この旅をしましょう。

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